気づいたんだけど、俺粗末な言い方ってやつが鼻につくこと多いみたい。
言ってる事は正しくても、冷たい言葉だったり冷徹なニュアンスだったりするとすぐ文句言いたくなっちゃう。
まぁそんなことは関係なく、クリスマスという日に何も残してないのはどうかと思いまして日付更新ですね。
クリスマスって最も分かりやすく「大半の人が何かをする日」だよね。もっと言うと「大半の人が誰かしらと何かをする日」というか。「誰もが」誰かしらとと言いたいところなんだけど、粗末にしたくないから大半のって言い方にしとくね。
段々と自分が歳をとって「誰かしらと何かをする」の「誰かしら」の年齢も一緒にあがっていってさ、「何かしら」の処女性がお互い噛みあわなくなってくるんじゃないかなって話です。変な話じゃなくて、処女性ね。
片方が初めて見るもの触れるもの行くところでも、もう片方はまた別の誰かと見たことがあったり訪れたことがあり、口に出さないだけでその時のことを頭に思い浮かべているという状況が多くなっていくのではないかと。
そのむず痒い噛み合わなさがこれからどんどん増えていくのに対して、自分は適応していけるのかってふと思いました。
比べる意識も比べられる意識もどうよ。あるのとないのとじゃきっとない方が自然なものじゃん。誰かを意識することが名前をつけられてない日付より強い日なんだから尚更さ。
こう対象をとった考えを練ってる時点でなんとも言えない頭をしてるな!と今思いましたが安心してください、何かあったわけではないです。
自分の話をするならばこの日は元バンドメンバーに後輩を交えホームパーティと言う名のたまごっち&ナルト鑑賞会をしていました。
結局なところみんな避けてるんだ。噛み合わなさに憤りを感じウェットな頭になることを避けてるんだ。だから早くから一緒にいることに憧れるんだ。
それでも、ドライな頭になりたいからといって過ごした月日を「コスト」だなんて呼ぶバカとは分かり合えないけどね。
なんでもいいじゃん?クリスマスという日は分かりやすく誰もが誰かしらと過ごす日であって、分かりやすく誰もが処女と処女性を失っていく日であるよな、とふと思った汚い記事をここに残しておきます。おおっと、大半の人だった。失敬。
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