自分に才能を感じたことってないなぁって。
自分がやってきたこと、やりたいと思ったこと、仮にある程度はできてたとしても才能を感じたことは一つもなかった。いつもあんまり上手くできないなぁって思いながらやってきた。
でも才能なんてのは本当に極一部が掴むもので、努力の後付けであるものだってみんな言ってた。そう言われると納得はいくけどそうなのかな。
サイノウに触れたことがない気がするから、分からないんだけど、自分にも何かあるのかな。何でもいいから、眠ってたりしないのかな。
で、なんで才能のことを考え始めたかというと自分は今まで何に挑戦してきたっけ、って思って。
剣道にバスケに色んなゲームにパソコンとかベースとか?全然ないなおい。
どれもやってみたい!って思ってやってきたけどずば抜けてできたワケでもないし特別な力も感じない。
だからと言ってそれが好きじゃないわけではないんだけどね。剣道は今でもやりたくなるし、授業でやるバスケは未経験者に近い分あんまりできないけどすげー楽しいし、ベースは完全に趣味です本当にありがとうございました毎日楽しいです。
で、なんで今まで何をしてきたかを考えていたかと言うと新しいベースを弾いてて、新しいベース可愛いって思ったときに、親父が嫌味ったらしくベースのことを言う姿が浮かんで。
結局、俺が発端で家が荒れたってことにされたせいで、入学祝いで買って貰ったベースを気持ちよく受け取ることはできなかったんだ。物に罪はないしめちゃくちゃいいベースだから、なんてか、嬉しいことには嬉しいんだけど。
昔から、何をしようとしても、気持ちよくやらせてくれないよあの人は。なんでなんだろうって凄く疑問に思う。今日は帰ってきてません。
次に自分がやりたいって思ったことは文章や広告だ。大学だ。
これなんてもう最初から才能感じてないからねww開き直るレベルだよ。
あと3ヶ月ぐらいとなっちゃいましたね。
コメント
才能があったらそりゃ楽しくなるかも知れないけど、才能だのなんだの言う前に、とにかく勝手に楽しめば勝ちだろう。
楽しくなくなってきたら、また別のん探せばいい。
目的のある浮気はありだぞ。
才能なくて並程度でも、ものすごく楽しめれば、ある意味才人より勝ってる…かも知れないな。
今度は家を飛び出す趣味を探してみてはどうだ。
お前の風景を記録する機械に、ペダルを回して進む二輪との相性はバッチリだぞ。
サイノウがないからこそ、サイノウへの憧れとか妬みとか嫉妬とか、そういう生身の感情を描けるのだし、そのような文章の方が私は好きだな。
持ってないからこそそれを褒めることが出来るって最近知ったこと。
メディア系の学部に憧れてたから心から応援している。コピーライターの夢を君に託してもいいか。