そんな他人に興味ってなくない?

友達がTwitterで「自分の人生において、幸せを極めることで、自分以外の人に羨ましく思われたいと考えるのは普通のこと」って呟いてた(原文ではない)のを見て、そんな風に思う人もいるんだなと知った。そして、同意できずに引っかかった。

そもそも、誰か自分以外の人生を"羨ましい"と本気で思うことなんてあるのか?っていう話。そりゃ美少女になってお金を稼ぎたいとはいつも言うけど。いっつも言う。それはもちろん、羨ましいよ。

 
羨ましいなと思うほど、他人の人生を考えながらなんて生きれない。
自分以外の誰かのことを考えながら生きるって凄くない?バイタリティに溢れすぎでしょ。
学校でできた友達だったり、職場で知り合った人たちだったり、仲良くしてくれている人、自分に大きな影響を与え…ってここまで書いたけど面倒な言い方だね。要するに大切な人ね。
自分にとって大切な人の幸せや成功を心から願うことは多々あるけど、その人の人生そのものに本当の興味があるかと言われたらNOだよ。と思ってしまう。口では言う。口では言うよ。「いーなー」って。みんな嘘つくんだよ。
でもそれが、自分の人生満足度を上げるわけじゃないじゃん。直接的に。
本人が本当に「自分の人生」というものに満足しきってるなら、例えばだけどサラリーマンの一生とフリーターの一生の違いなんてあんのかよって思っちゃうんだけど。死んだら一緒じゃん。
草野球じゃ全然満足できない人がプロ野球選手目指すじゃん?結局やってることって、 自分の欲を満たす行動の連続じゃん。自然とどこに落ち着くか、っていう満足ラインの違いというか。欲を満たす行動を起こさない場合は、本心では満たされてるからでしょ。それでいいじゃん。
人生一通り終えた時に誰かに点数をつけられるわけじゃないんだしさ。ましてやその点数で他人と競い合い優劣をつけるわけでもないし。
仮に点数をつけるとしてもだよ、つけるのは他でもない自分であり、その採点基準ってのはとっくに過ぎ去った過去ですよ。自分の人生なんて自分しか知らないじゃないですか。
 
他者と自分を比較し優劣をつける。自分の方が良い人生というマウント取り。羨まれたい。どれも俺には理解しがたい。ただみんな幸せな人生を過ごしたいというのは理解できる。
 
人生単位で羨ましいと思われたいっていうのも、他人の人生を羨むのもよくわかんねぇ、自分で自分に満足できていれば他の人のことなんてどーーーーでもいいのにって考えで生きています。 という話でした。思考の比較。

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